児童期の重要な学習 ① ~リテラシーの基盤を築く~

今回からしばらくは、児童期の学習の大切な役割についてお伝えしようと思います。第1回目はリテラシーの基盤形成を話題に取り上げてみました。リテラシーは日本語の「読み書き」に相当します。読み書きなくして勉強は成り立たないので、最初の話題に取りあげました。

本題に入る前に、導入としてご紹介しておきたい話があります。それは、学力という言葉がいつごろからわが国で使用されるようになったのかということです。 「えっ、リテラシーと何の関係があるの?」と思われたかもしれませんね。筆者の所持する書物に次のような記述があります。

 学力ということばが庶民のなかで使われるようになったのはいつごろからか、くわしいことはわかりません。しかし、江戸前期の作家、井原西鶴の『日本永大蔵』の一節に、森嶋権六と名のる一浪人が、ある東国きっての長者の家に居候して四人の子どもに四書(大学、中庸、論語、孟子=儒教の経典)の素読を教えているところが出ています。そこでは、この男「すこしこびたる者(注=教養ある者)にて、学力(がくりき)あれば、道を忘れず」などとあります。❝がくりき❞は❝がくりょく❞と同じで、ここでは漢書などの読み書きの能力をさしていたのでしょう。

上記書物によると、明治以後になると、学力という言葉の示す意味はだいぶ変わっています。たとえば、二葉亭四迷の『浮雲』という作品には、書生の「立身出世」などのための学問の力をさす言葉として用いられています。それから「学習することによって獲得した能力」を言うようになり、さらに「学習を通じて獲得した知識、学問をしていくための知的能力」という、今日のような意味合いの言葉になったようです。「学力(がくりょく)」は、江戸時代においては「学力(がくりき)と呼ばれ、読み書きの力をさす言葉だったのですね。

 本題へ移りましょう。読み書きが堪能なら知識や思考の水準が上がり、高いレベルの学問を修めることができます。まさに読み書きこそ学力の源です。この読み書きの基盤を形成すべき時期はいつごろでしょうか。それは小学校入学からの数年間です。その理由をこれからお伝えしようと思います。

まずは読むことから考えてみましょう。読むという行為は、文を構成する文字列を目で追いながら、その表す意味を順次理解していくことです。大人なら造作なくできることですが、就学後間もない子どもは、文字のまとまりや切れ目を識別することがままなりません。そこで、個々の文字に対応する読みを声に出すことで言葉のまとまりを仕分ける練習をしていくことになります。たとえば、あ(a)・さ(sa)・が(ga)・お(o)などのように、一文字ずつ発音することで、今まで音声の言葉として使用してきた「asagao」と、「あさがお」という文字の言葉の対応関係を学びとっていきます。

どんなに読みの達者な人もこのステップを踏んでおり、例外はありません。このことからわかるように、文章を読んで理解できるようになるには、その前提として文字に対応する読みを声に出して確認する練習が不可欠なのです。これが音読です。音読を繰り返し経験しているうちに、文字の連なりを視覚で捉えるとほぼ同時に言葉のまとまりや繋がりを認識し、それに対応する読み(自分の声)を脳内でイメージできるようになっていきます。これが黙読です。2年生の初めごろには、大概の子どもは黙読期に入ると言われています。幼児期から文字を学んでいた子どもは、おそらくもっと早いことでしょう。

黙読は音読よりも負担が少なく、速く快適に読めるので、子どもは本を読んでいろいろな知識を得たり、新しい言葉を覚えたりすることを好むようになります。そこで一気に読書が活発化し、読みの精度や技術がすばらしい勢いで進歩していきます。こうして、読みの上達が一段落して安定期に入るのが3~4年生の頃です。研究者の実験によると、多数の3年生と5年生の児童に同じ文章を読ませて読了時間を計ったら、ほぼ平均読了時間が同じだったそうです。それは、正式な文字学習開始後3年程で個々の読みの態勢が整うことを意味するでしょう。

読みが上達した子どもは、速く正確に著述内容を理解できます。また、たくさんの新しい語彙を獲得していきます。それに呼応して抽象的な意味を表す言葉の理解も進みます。それは、学問適性の高い人間に成長していることに他なりません。そうなるためには、音読期 → 黙読期 へのスムーズな移行、読書の活性化、語彙の増強、抽象的思考の獲得などが条件となりますが、小学校1年生から4年生頃にかけては、これらを整える重要な時期なのです。読解力不足の子どもは、能力云々の問題ではなく、上記のようなプロセスを経験していないためにそうなったのです。

 もう一つ、書く力について。低学年児童の保護者は一様に、「うちの子は書くのが苦手です」とおっしゃいます。しかし、書けないのは当然のことです。1~2年生児童にとっては、鉛筆を正しく握って文字を書く行為自体が負担なのですから。まして、「何を書こうか」と構想を立て、話の順序性や文の構造まで考えながら書くということは、1~2年生の子どもには酷と言えるほどの知的作業に他なりません。

しかし、だからと言って書くことの努力は欠かせません。取り組んでいるうちに、微妙な変化が起こってくるのです。たとえば、1年生と2年生の作文の平均文字量はさほど変わりません。しかし、少しずつ内容にまとまりが見られ始め、構想をもって書こうとしている意図が感じられるようになります。そして、3年生頃一気に努力が実を結び、かなり長い文章を順序だてて書けるようになっていきます。

いっぽう、書くのを嫌がって避けていた子どもは、3年生になっても、4年生になっても進歩が見られません。そうして、書くことの楽しさや便利さを実感できるようになった子どもとの差はどんどん広がっていきます。書く力の進歩も読む力と同様に、3~4年生までの積み重ねがもたらすものなのです。

※上記引用文は、「子どもと学力」坂元忠芳/著 新日本新書(1983) によります。

<押さえておきたい!> 読み書きの力は練習次第で誰でも上達します

1.うちの子は読むのが下手、読書嫌いというかたへ
「うちの子は読むのに時間がかかる」「うちの子は読書を嫌がる」などと、嘆いているかたはおられませんか? 読むのに時間がかかるのも、読書を嫌がるのも、黙読への移行がスムーズに行われていないことが原因です。快適に読めるなら、子どもは誰だって本を読みたがるものです。

読みが上達しない原因の多くは音読経験が足りないことです。お子さんに、国語の教科書などを1ページほど音読させてみてください。何度もつまずくようなら、黙読もうまくいっていません。声に出して滑らかに読めるようになるために音読をくり返しましょう。1~2カ月もしたらかなり上手に読めるようになります。すると、黙読も自然と滑らかでスピーディにできるようになっていきます。そうなると、おかあさんが読書を促さなくてもお子さんは進んで本を読むようになることでしょう。

2.うまく書くことを強要せず、楽しく書くことを促しましょう!
書く練習をするうえで重要なことは、親が命令して書かせるのではなく、お子さんが「文字って便利だな」と実感するよう導くことです。無理に書かせても、お子さんの書く力は進歩しません。ある事柄について互いの気持ちを書いて伝え合うなど、お子さんが楽しいと感じるような趣向を採り入れれば、子どもはやる気になるし、成果もあがります。一足飛びに上達を望むのではなく、親子でそれぞれに自分の気持ちや伝えたいことを書いて交換することから始めてみてください。短い文を書くことからやってみましょう。1年もしたら、相当な進歩を遂げているお子さんに気づかれることでしょう。